パグ犬涼々のしつけ大作戦!+ボビたん

2011.3.11 東北関東大震災発生時の涼々とボビたん

今年の3月はことさら冷えるような気がします。
孤立していた避難所も、空・陸の両方から発見され、徐々に救援物資が届けられるようになったとのニュースが連日ありました。
でも燃料が全然足りなく、避難者どうし身を寄せ合って寒さをしのいでいるそうです。

温かい食べ物が配給された際、「ようやく生きていることを実感しました」と、ある避難者の方が答えていました。
地震や津波から逃れてようやく助かった命の灯火が、避難所に物資が届かないために消え入ることのないよう、切に願うばかりです。
なので、節電等を含め被災地支援の動きが全国的に広がっていることは、本当にありがたいことだと思います。


当日、仕事から帰宅して約20分後くらいのことです。
私(ちゃこP)はテレビをつけて涼々とボビたんにオヤツをあげていました。
するとテレビから緊急地震速報が流れたので、すぐにフタリの首輪をつかみ用心しました。
画面表示には「宮城県」の文字が出ていたような気がします。
時間をおかずに揺れが来ました。
グラグラというよりもガタガタと大きく揺れたので、しゃがんだままフタリを抱っこしましたが、 物が落ちて割れる音が聞こえ始めたので危険を感じ、 フタリを抱っこしたまま勝手口から外へ避難しました。
そのとたん、激しい揺れに襲われました。
立っていられずにひざまずいていても、揺れに体を翻弄され続けました。


地震が嫌いな涼々は、恐怖で体をぶるぶる震わせながら逃げようとします。
ボビたんも異変を感じて膝から降りようともがきます。
私は涼々に「大丈夫よ!大丈夫だから」と声をかけながら、フタリを離すまいと必死で抱きかかえていました。


揺れはいっそう強くなるばかりです。「これが言われていた宮城県沖地震(今後30年以内の発生確率が99%)?とうとうその日がやって来た?」や、 「なぜこんなに揺れるんだろう。普通の地震ではないみたい」などの思いが頭の中をグルグル回ります。
揺れはいっこうに収まらずに、後ろのアパートの住民も、階段の手すりにつかまりながら悲鳴を上げていました。


結果、震源は三陸沖で、震源域は岩手県沖から茨城県沖まで南北約500km、東西約200kmの広範囲に及ぶ、単一ではなく3つの地震が連動したものと解析されています。
また、本震の揺れは6分にも及んだと報告されています。


揺れの激しさと暴れる涼々・ボビたんの重みで、体を支えていた膝小僧に傷ができてしまいましたが、とにかく私も涼々・ボビたんも無事でした。
揺れが収まってから、家の中の様子を確認するために、フタリを車に入れて自分だけで家に入りました。
この時点では、津波のことは全く頭にありませんでした。


同じ市内に住んでいる同僚は、家に入ろうとしたところで「津波が来るぞ」と聞いて、すぐに避難して間一髪のところで助かったそうです。
翌々日になって、市内を流れる川が決壊し我が家付近も洪水にのまれると聞いて、早朝に高台にあるりゃんばあちゃんちに避難をしましたが、実際はそういうことはありませんでした。

家の中を見て回りましたが、陶器やガラスの破片が先ほどまでいた場所に散乱していました。

3.11東日本大震災
その時点で今夜は車中泊と決め、暗くなるまでにできることをしようと思い、毛布や懐中電灯、食料、それと涼々・ボビたん用品を車に積み込みました。
近所の人たちもわらわらと道路に出て話し込んでいます。
私は携帯ラジオを庭に出し、近所にも聞こえるようにボリュームを上げました。

3.11東日本大震災
余震が頻繁にありましたが、車の中だと涼々は怖くないようです。
ボビたんはもとより平気そうな顔をしています。なんとなくですが頼りになるような気もする(ヒトリよりまし?な程度^^?)ので、 とりあえずフタリを残して徒歩で15分のところにある職場に向かいました。
職場も天井からの落下物があったりしましたが、同僚スタッフにも利用者さんにもけが人はありませんでした。


スタッフ全員の無事を確認してから解散して、帰宅したときはもう暗くなっていました。
涼々とボビたんにゴハンを食べさせなくてはなりませんが、家の中は危険だし車は狭いので、玄関ポーチで食べさせることにしました。
停電で明かりがないので、車の向きを変えてライトで照らしてあげます。
初めてお外で食べるゴハン、しかも薄暗い中で車のライトしか明かりはないのに、 フタリともいつもどおりパクパク夢中になって食べていました。

3.11東日本大震災
よし、元気はありそう!


食後に目薬をさして口の周りを拭いて、3ニンで車に戻ります。
携帯電話がつながらないので、りゃん父とは連絡が取れませんでした。
電車も止まったきりなので、いつ帰ってくるのか、それとも帰らないのかも分からずです。
カーラジオを聞きながら疲れてうとうとしていたら、21時過ぎにりゃん父が帰ってきました。

これで涼々家は全員無事に集合できました。
そして地震が起きた時のそれぞれの状況を報告し合いました。
ちょうどそのとき私が家にいて、しかもフタリが足下にいたので一緒に外へ避難できましたが、3人バラバラにいたらそれができていたかどうかはわかりません。
運に感謝です。


車中泊では、りゃん父が涼々を抱っこして、私がボビたんを抱っこして眠りました。
パグちゃんアンカはほどよい温もりでした。
生きてるって、温かいね。


さて、翌日には被害が少なかった和室に寝泊まりできるよう、準備をしなければなりません。
我が家は涼々・ボビたんが避難所に入れないことを想定し、家で避難生活を送れるようにある程度の用意はしていました。
すべてのライフラインがストップし携帯電話も使えませんでしたが、家が無事だったので大丈夫、暮らしていけます。

明日からはサバイバル生活よと、前向きにみんなで頑張ることを誓いました。(一日目おわり)

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